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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)2553号 判決 1982年5月19日

原告

市川富雄

右訴訟代理人

浅見昭一

右訴訟復代理人

土肥倫之

被告

東明商事株式会社

右代表者

大石靖雄

右訴訟代理人

吉井文夫

右訴訟復代理人

浅野利平

主文

被告は、原告に対し、一二〇万円及びこれに対する昭和五四年三月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五三年五月二四日、被告との間で、次のような内容の売買委託契約を締結した(以下これを「本件契約」という。)。

(一) 東京金為替市場の正会員である被告は、同日、同市場において、原告のために、金地金(99.999%の純金)六キログラムを、同市場の公正な取引によつて成立する価格で買い付ける。

(二) 被告は昭和五四年四月末日限り右金地金六キログラムを原告に引き渡す。

2  原告は、昭和五三年六月一三日、被告に対し、右金地金買い付けの予約金として一二〇万円を支払つた。

3  (解除による原状回復)

(一) (履行遅滞)

(1) 被告は、「昭和五三年五月二四日、東京金為替市場において、原告のために、金地金六キログラムを一グラム一四九三円で買い付けたが、同年七月一〇日原告との約定に基づき金地金六キログラムを原告のために同市場において売り付け、これによつて原告が負担した債務に予約金を充当した。」と主張した。したがつて、被告は、金地金の代金を原告から受領しない意思が明確であり、かつ金地金の引渡義務の履行をあらかじめ拒絶していたということができる。

(2) 原告は、被告に対し、昭和五四年六月一二日到達の書面をもつて本件契約を解除する旨の意思表示をした。

(二) (履行不能)

(1) 被告は、右3の(一)記載の主張をしているから、金地金の引渡義務を履行する期待可能性がなく、したがつて、右引渡義務は履行が不能となつた。

(2) 原告は、被告に対し、昭和五四年三月二七日到達の書面をもつて本件契約を解除する旨の意思表示をした。

(三) よつて、原告は、被告に対し、解除による原状回復として一二〇万円及びこれに対する被告が原告から一二〇万円を受領した後である昭和五四年三月二八日から支払ずみまで民事法定利率五分の割合による利息の支払を求める。

4  (債務不履行による損害賠償)

(一) 被告は、本件契約当時から今日に至るまで東京金為替市場の正会員ではない。また被告は、同市場における公正な取引によつて本件契約に基づく金地金の売買取引を行つていない。例えば、受託者は、委託者(注文主)が予約金を預託する前に市場において取引を成立させてはならないが、被告は、原告が予約金一二〇万円を預託する前である昭和五三年五月二四日に、原告のために金地金六キログラムを買い付けた旨原告に対して通知した。

(二) 右市場においては、金地金の清算取引(金地金の現物を引き取らないで反対売買によつて清算する取引)は禁止されている。なぜなら、この取引を禁止しなければ、仲買人の呑行為、向い玉によつて委託者の利益を害するのみならず、取引価格の公正な形成もできないからである。また、このように清算取引が禁止されている以上、追加委託保証金なども認められていない。

しかるに、被告は、本件契約の金地金注文約定書中に追加委託保証金の条項やこれを支払わない場合には被告が委託者に無断で反対売買により取引を清算しうる旨の条項を設け、被告が原告のために買い付けた金地金六キログラムをこれらの条項により昭和五三年七月一〇日売り付け清算した旨主張している。

(三) 右(一)、(二)の行為は、前記1の(一)記載の契約に違反している。原告は、この契約違反により被告に支払つた予約金相当の損害を被つた。

(四) よつて、原告は、被告に対し、債務不履行による損害賠償金一二〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五四年三月二八日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

5  (不法行為による損害賠償)

(一) 被告は、東京金為替市場の正会員でないにもかかわらずあたかも正会員であるかのように装い、原告をして被告が同市場の正会員であり公正な取引によつて金地金を買い受けられるものと誤信させて、本件契約を締結させ、昭和五三年六月一三日に予約金名下に一二〇万円をだまし取つた。

(二) よつて、原告は、被告に対し、不法行為による損害賠償金一二〇万円及びこれに対する不法行為の後である昭和五四年三月二八日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

6  (不当利得)

(一) (公序良俗違反)

(1) 前記4の(二)記載の条項を含む金地金注文約定書に基づく金地金の売買委託契約は、金地金の延取引であると被告は主張するが、その実質は金地金の先物の清算取引を中核とする商品先物取引契約にほかならない。

(2) 商品の先物取引及び証券の信用取引は、委託者にきわめて大きな危険を負担させるため、公正な価格形成と投資者保護とを目的とする厳重な法規制を受けている。しかし、本件のような金取引については、何らの法規制もない。いわば受託者である金地金仲買人が一方的に作成した注文約定書に基づき、受託者の一方的な判断によつて取引される。委託者が取引の公正さ・価格の適正さを確かめるすべもない。

右のように委託者保護に欠けた金地金注文約定書は、信義に反し、公序良俗に違反し、無効である。

(3) 本件契約は、右の金地金注文約定書に基づく取引であるから無効である。

(二) (錯誤)

(1) 原告は、被告が公設と思われる東京金為替市場の正会員であり、しかも商品取引法のような厳重な規制の下に公正な取引によつて価格が形成されると信じた。原告は、このように信じたからこそ本件契約を締結した。しかし、被告は同市場の正会員ではなく、厳重な規制の下に公正な取引によつて価格が形成されることもないと判明した。

(2) 原告は、本件契約が追加委託保証金を必要としない、つまり清算取引のない契約であると信じて、右契約を締結した。しかし、本件契約は、前記4の(二)記載の条項を含む金地金注文約定書に基づく契約で、清算取引を中核とする契約であつた。

(3) 本件契約は、原告の意思表示に右のとおり要素の錯誤があるから無効である。

(三) よつて、原告は、被告に対し、不当利得金一二〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五四年三月二八日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2の事実は認める。

3  請求原因3の(一)の(1)及び(二)の(1)のうち、被告が「昭和五三年五月二四日、被告は東京金為替市場において、原告のために、金地金六キログラムを一グラム一四九三円で買い付けたが、同年七月一〇日、原告との約定に基づき金地金六キログラムを原告のために同市場において売り付け、これによつて原告が負つた債務に予約金を充当した。」と主張していることは認めるが、その余は争う。

4(一)  請求原因4の(一)のうち、被告が金地金六キログラムを原告の予約金一二〇万円の預託前である昭和五三年五月二四日に原告のために買い付けた旨原告に通知したことは認める。被告が本件契約当時から今日に至るまで東京金為替市場の正会員でないことは否認する。その余は争う。

(二)  請求原因4の(二)のうち、被告が本件契約の金地金注文約定書中に追加委託保証金の条項やこれを支払わない場合には被告が委託者に無断で反対売買により取引を清算しうる旨の条項を設け、被告が原告のために買い付けた金地金六キログラムをこれらの条項により昭和五三年七月一〇日売り付け清算した旨主張していることは認めるが、その余は争う。

(三)  請求原因4の(三)は争う。

5  請求原因5の(一)の事実は否認する。

6(一)  請求原因6の(一)は争う。

本件契約は、昭和五四年四月末日限り金地金六キログラムを約定価格で被告が原告に対して引き渡す旨の契約であるから、現物取引であり、委託者が反対売買をし、その差金を授受することによつていつでも売買関係から離脱できる先物取引とは根本的に異なる。

(二)  請求原因6の(二)の(1)及び(2)は争う。

三  抗弁

1  本件契約は、金地金注文約定書に基づく取引である。

2  右約定書には、次のような定めがある。

(一) 七項は、予約金は、受渡月の受渡日において取引総代金の一部に充当するとともにこの取引により発生するすべての債務に充当する旨定めている。

(二) 八項は、「注文者は、約定価格に対し市場価格が著しく変動した結果、その損勘定が会員に納入している金為替予約金の半額を超えた場合、翌営業日までに当該損勘定相当額を受渡し決済の内金として補てんしなければなりません。」と定めている。

(三) 九項は、「会員は、注文者が前項に規定する損勘定の補てんをしなかつた場合は、注文者に金地金の受渡し決済の意志がないものとして注文者の勘定において任意にこれを処分することができるものといたします。」と定めている。

3  被告は、昭和五三年五月二四日、東京金為替市場において、原告のために、四月渡しの金地金六キログラムを一グラムあたり一四九三円、総代金八九五万八〇〇〇円で買い付けた。

4  四月渡しの金地金の市場価格は次のとおり値下りした。

(一) 昭和五三年七月三日

一グラム一二七三円

(二) 同月五日  一グラム一二七四円

(三) 同月八日  一グラム一二七三円

5  その結果、原告の損勘定は、納入している予約金の半額六〇万円を超えたから、原告は、約定書八項に基づき、損勘定相当額を補てんしなければならないにもかかわらず、これをしなかつた。

6  そこで、被告は、約定書九項に基づき、昭和五三年七月一〇日、東京金為替市場において、原告のために、四月渡しの金地金六キログラムを一グラム一二六九円、総代金七六一万四〇〇〇円で売り付けた。

7  その結果、原告は、被告に対して、買付金八九五万八〇〇〇円と売付金七六一万四〇〇〇円との差額一三四万四〇〇〇円及び手数料(二回分)二四万円の支払債務を負担した。

8  よつて、被告は、約定書七項に基づき、予約金一二〇万円を、前項の債務に充当した。

四  抗弁に対する答弁

抗弁1ないし6及び8の事実は否認し、同7は争う。

抗弁2記載の条項を含む金地金注文約定書は、前記一の6の(一)記載のとおり、公序良俗に反し無効である。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二請求原因2の事実は、当事者間に争いがない。

三(抗弁について)

1  <証拠>によると、(一) 原告は、「私は、今後貴社と行なう取引は、金地金注文約定書に基づき、注文は下記の様式(ただし口頭を含む。)でいたします。」と印刷された注文書に、署名・押印した、(二) 右注文書は、同じく印刷された金地金注文約定書と同一用紙に印刷されていた、(三) 右金地金注文約定書は、一項ないし一八項からなるが、その中には被告主張のような七項ないし九項が印刷されていた、との事実が認められる。

2 保険約款のようにその存在が世間に知られ、長い歴史と行政上のあるいは業界内の監督・指導により内容に合理性がある場合には、約款による旨記載された契約の申込書に署名・押印すれば特段の反証のないかぎり、たとい右約款の内容を知らなかつたとしても、約款による意思があつた、と推認すべきである。

しかし、本件のような金地金注文約定書及び金取引市場の存在等金取引の実情は、昭和五三年当時、世間一般に周知されたものとはいえず、金取引市場の設立あるいは金地金注文約定書の内容等が監督官庁の認可にかかるものでないことは、<証拠>により認められるところであるから、このような場合には前記注文書に署名・押印したことをもつて、直ちに金地金注文約定書の内容の知、不知にかかわらずこれによる意思があつたと推認するのは相当でない。

もつとも、本件においては注文書と同一用紙に金地金注文約定書が印刷されていたのであるから、被告はその内容を知つていたとも考えられるので、本件契約成立の具体的経緯を更に検討する必要がある。

3 (本件契約成立の経緯等について)

前記一及び二で認定した事実、<証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができ<る。>

(一) 原告は、床工事を施行する会社の代表取締役である。

(二) 原告は、原告の賃貸するビルの賃借人であつた金取引センターから、金地金1.5キログラムをいわゆる現物取引として一八〇万円位で買い受けたことがあつた。しかし、株等の売買をした経験はない。

(三) 昭和五三年五月四日、三友商事株式会社新宿支店の営業次長野村耕二と営業部員久馬靖雄が、突然、原告方を訪れ、原告に金地金売買を勧誘した(なお、両名の名刺には、三友商事株式会社が日本貴金属市場正会員であると印刷されていた。)。原告は、すでに金地金を持つていると断つた。野村らは、予約金二〇万円をだせば金一キログラムも買う約束ができる、金は値下がりすることがない、といつて、金の売買を勧めた。

(四) 昭和五三年五月二四日、久馬靖雄が原告を訪れ、更に金地金の売買を勧誘した(なお、三友商事株式会社の五支店は、同月一〇日、それぞれ独立した会社となつた。三友商事株式会社新宿支店は、被告会社となつた。久馬の示した名刺には、被告会社が東京金為替市場正会員であると印刷されていた。)。原告は、銀行に預け入れていた金地金を予約金にたて、新たに金地金を買い受けてもよい、と考え、昭和五四年四月末日に引き渡しを受けるとの条件で金地金六キログラムを買い受けることにした。

(五) 原告は、久馬の用意した注文書二部に署名・押印して、久馬に渡した。右注文書と同じ用紙に金地金注文約定書が細かい活字で印刷されていた。しかし、久馬が右金地金注文書の内容について説明することはなかつた。原告も、金地金注文約定書の条項を読まなかつた。

(六) また、久馬靖雄あるいは野村耕二が、口頭で、市場価格の変動の結果いわゆる追証金が必要になる、追証金がない場合には被告会社が原告の買い受けた金地金を処分できる旨説明したこともなかつた。

(七) その後、被告会社から、御取引明細計算書と同一用紙に金地金注文約定書が印刷された注文書とが送られてきた。原告は、金地金注文約定書を読むこともなかつた。

(八) 原告は、預け入れていた金地金を引き出そうとした。ところが、妻に反対された。

(九) そこで、原告は、被告会社に対し、予約金一二〇万円を現金で用意する、しばらく支払を待つてほしい旨申し入れた。原告は、その後、予約金の支払を催告された。

(一〇) 昭和五三年六月一三日、原告は、一二〇万円の準備ができた。原告は、同日、被告会社を訪ね、一二〇万円を支払い、金為替予約金受領証を受け取つた。。

(一一) 翌一四日、被告会社から、電話で、いわゆる追証金として五〇万円ほどを支払うよう催促された。原告は、追証金の話は聞いていない。昨日会社を訪問したときなぜ説明しなかつたか、と抗議し、追証金の支払を断つた。被告会社は、金地金注文約定書に書いてあると説明した。

(一二) 昭和五三年六月二〇日ころ、原告は、被告会社へ行き、野村から追証金(この時点で、追証は六〇万円であると言われた。)について説明を受けた。しかし、原告は、納得しなかつた。

(一三) その後、毎日のように、被告会社から、追証金を要求する電話がかかつてきた。原告がこれを無視すると、電報が送られてきた。

(一四) 昭和五三年七月一〇日過ぎころ、被告会社から、「ウリ」と書かれた同月一〇日付御取引明細計算書が送られてきた。

(一五) 原告は、契約を解約した覚えがないので、昭和五三年七月二六日、被告会社を訪れ、右計算書の説明を求めた。被告会社営業部次長中川猛が、原告と連絡をとるために送つたもので、計算上の伝票である旨説明した。

(一六) 原告は、被告会社との取引が当初の約束と違うので、被告会社にだまされたとして、昭和五三年八月一日ごろ、被告会社を告訴した。

(一七) なお、原告との取引を担当していた久馬は、被告会社を辞めたとかでいなくなつた。

4 前記3で認定した本件契約の成立の経緯、特に原告は金地金注文約定書の内容の説明を受けておらず、約定書の内容を納得して注文書に署名・押印したものでないこと、及び、前示2で検討した点に照せば、原告の職業及び金地金を買い受けた経験があつたことを考慮しても、原告に金地金注文約定書の内容を知りこれによる意思があつたと認めることはとうていできない。他に、原告が金地金注文書による意思があつたとの事実を認めるに足りる証拠はない。

5 したがつて、金地金注文約定書記載の条項が原告を拘束することを前提とする被告の抗弁は、その余の点について判断するまでもなく、失当である。

四請求原因3の(二)の(1)の事実中、被告が「昭和五三年五月二四日、東京金為替市場において、原告のために、金地金六キログラムを一グラム一四九三円で買い付けたが、同年七月一〇日、原告との約定に基づき金地金六キログラムを原告のために同市場において売り付け、これによつて原告が負担した債務に予約金を充当した。」と主張していることは、当事者間に争いがない。右争いのない事実と弁論の全趣旨によれば、被告は、金地金六キログラムの引渡債務を履行しない意思を明確にし、かつ、これをひるがえすことは全く期待することができない、と認められる。

五請求原因3の(二)の(2)の事実は、当裁判所に顕著である。

六してみると、債務不履行による解除に基づく原状回復請求権として一二〇万円と、これに対する一二〇万円を受領した後である昭和五四年三月二八日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による利息の支払を求める原告の本訴請求は、理由があるから認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(越山安久 小林正明 森義之)

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